日々、積笑

笑って過ごせる毎日

3・14 食糧確保

Posted by yokka on   0  0

数日前NHKスペシャルを見ていたら、
取材を受けていた被災者の方が言っていた。

「こんなに電気に振り回される人生になるとは思わなかった」と。

人の財産を奪い、生活する場所を奪い、生活の糧を奪い、
さらに今後は人の命にかかわってくるかもしれない原因は

「放射能」

今後どれだけの犠牲を払わなければならないのか予想もつかない。

地震や津波が放射能を出した訳ではない。
電気は必要だし、地震後も電気がついたことがありがたかった。

けれど、話は別だ。
そもそも「命に危険が及ぶほどの電気」を望んだ訳ではない。
「安全だ」と言ったからには、その責任をとる必要があると思う。

子供を安心して育て、日々の暮らしを
穏やかに過ごしたい人々の人生を奪った罪は
頭を下げただけではすまない。

人の命に関わる大罪。早く法で裁いてほしいと願う。
「安全だ」と言った、責任ある立場の責任を取らないあらゆる人達を。


今日は、3月14日の出来事です。


********************************

 (3月14日の朝 停電中、断水中 自宅にて)

前日水を確保し、家中の食糧を集め、電池のストックなども確認。
電池は使う必要のないものからはすべて外して、
ラジオやランタン用に一か所に集めておく。

前日得た情報から、今日は自宅から自転車で20分ほどのスーパーに行く。
おそらくまた行列ができることが予想されるので、
朝7時過ぎには用意を済ませ、夫とともに出発。

電気がまだついていないので、信号機もついていない。
途中の道路は、相変わらずガソリンスタンドに並ぶ車でかなりの行列ができている。

7時40分 スーパーに到着。

20人ほどの人がすでに並んでいる。私たちも列の最後尾につく。
途中でお店の方が出てきて、8時半に開店予定だとアナウンスする。
私たちの後からも人は並び、どんどん列は長くなる。

時間通りスーパーは開店。
30分ほど待って、私たちの順番がきた。

店内は商品もまばらで、ところどころ電気がついているが薄暗い。
入口に行くと、係の人が一人ついてくれた。
欲しいものをかごに入れるときに、担当の人がその商品の値段を値札で見て
紙に書き留め、その都度計算してくれる。
レジが動いていないので、自分の担当の人が書いてくれたメモを持って
レジで精算する仕組みになっていた。

買いたいものを買いたいだけ買える。
ただし、待っている人達の行列を考えると、
すばやく必要なものをそろえなければ。

お店の方も被災したであろうに、こんなときにもお店を開けてくれるのが
本当にありがたく、お礼を言うと「それが私たちの仕事ですから」と笑顔で
快く対応してくれて、ただただ感謝の気持ちばかり。

夫と手分けして、アパートの人にも分けられるようなものを購入。

以下購入品。

昆布の佃煮、ウインナー、ハム、りんご、ブロッコリー、大根
菜の花、スナック詰め合わせ、チョコレート詰め合わせ、ラップ、
サケフレーク、なめこの瓶詰め、味噌汁の具、マカロニ、そば、
カレーのルー、卵

ちなみに米類、インスタント食品、飲料水、ガスボンベは、その日すでに完売していた。

冷蔵の物は、停電中なのでそれほど日持ちしないので早めに食べた方がいいとのこと。
とりあえず、二人のリュックに入る分だけ買って家に戻る。

普段私は買い物は、ほとんどがカード払い。
現金が財布に入っているかどうか日ごろから確認していないので、
突然カードが使えないときに、1000円ぐらいしか財布に入ってなくて慌てることも。

それが偶然、今回は地震前に少し多めにお金を財布に入れておいた。
スーパーの買い物でも現金が必要だったが、
その後、九州へ帰省するときも、移動する手段が限られていて、
タクシー、高速バス、飛行機、ホテルの宿泊とカードが使えない事態も予想された。
夫と合わせたらそこそこお金は持ち合わせていたので、
とりあえず大丈夫だろうと安心できた。ATMが開いてない、銀行、郵便局もだめ、
カードが使えない。そんな事態にはやはり、ある程度の現金が必要だと感じた。

家に戻ると、とりあえず数のある食材を段ボールに詰め近所の家を回った。
ウインナーやハム、リンゴ、お菓子などが人気だった。
卵が結構数があったのだが、思いのほか備えている家も多く余ってしまった。

自宅に戻り、あるもので昼食を作ろうとしていると、電気がついた!
外出中はブレーカーを落としていたが、
在宅中はブレーカーを上げ、コンセント類は全部はずし、
台所の小さな電気だけつくようにしていたので、電気が来たときすぐにわかった。

家中確認したが、特に異常がみられないので、一つずつ電気をつけていく。
テレビもみれる。
その時初めて、津波の被害を知った。

(こんなことになっているなんて・・・・)

固定電話もつながった。携帯もつながったが電波が不安定だ。
パソコンはなぜか使えない。
情報は、テレビとラジオと時々つながる携帯になった。

私と夫とそれぞれの実家に連絡する。初日の公衆電話以来の連絡だ。

ひたすらテレビを見ていると、原発の状況がとても気になり始めた。
その日も新たな爆発が起こっていた。
地図をみると自宅から原発は直線で80キロ圏内。

飲み水は2、3日はあるが、また数日後給水にいかなくてはならない。
食糧はとりあえずなんとかなるが、いつまでこんな状況が続くかわからない。
原発の被害が拡大しているように見えるこの状況で、
外に出なければならないことは、この先あきらかだ。

空気は大丈夫か。そればかりが気がかりで、外に出るのが怖い。
その時から私たちは、今後の対策を地震ではなく、原発について考え始めた。


(2011年3月11日東日本大震災 「3・14 食糧の確保」・・・・終)

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