日々、積笑

笑って過ごせる毎日

3・15 福岡へ帰ろう  その1

Posted by yokka on   2  0

楽しむこと、買い物すること、美味しいものを食べること。

地震以来、最初は何もする気になれなかったのもあるけれど、
そのうち、何かしようとすると、罪悪感がふつふつと。
みんな大変な思いをしているのにいいんだろうか・・・と、なんとなくすっきり楽しめない。

こんなんじゃ、いつまでもウダウダしててだめだ!
と、まずは再び伸びた髪をざっくりショートに。
カラーして、パーマして、ヘッドスパまで!

さらに、ええいっと、欲しかった夏物バーゲン品をお買い上げ!
洋服に、サンダル!

自分にしては久々に散財したな!と一瞬すっきりした感があったが、
冷静になると、「ちょっと贅沢しすぎたか・・・」と違った罪悪感が・・・

栄養補給したと思って、がんばろ。

今日は、3月15日の出来事です。

********************************

 (3月15日の朝 電気復旧 自宅にて)

15日の朝。目覚めると、夫がいきなり、

「しばらく九州に帰ろう」
「RaRa。のそういう「勘」はだいたい当たってるから」と、言いだした。

私が原発が心配だ、心配だと言うので、夫なりに色々考えたようだ。
夫の職場は津波で被災しており、しばらく仕事も休みになりそうだった。
ちょうどその日の午後には正式な通達が出そうだというので、
その後すぐに行動できるように準備することにした。

しかし、地震の影響で交通手段がはっきりわからない。
それに、ちゃんと九州に帰れる保証もない。
調べる時間も手段も限られているので、
九州の友人たちに手伝ってもらうことにした。

「今日、九州に帰ろうと思うので、動いている空港と飛行機、
公共の交通機関を調べてメールで情報を送って欲しい」

と頼むと、快く数人が引き受けてくれた。
後でわかったことだが、私が直接連絡したのは2人だったが、
その友人がまた他の友人に声をかけ、情報を集約して、
私に連絡を入れてくれていたようだ。

みんな忙しい中、こまめに情報を集めてくれて本当に心強かった。
実際、友人たちの情報のおかげで、その後順調に九州に帰ることができたのだ。


テレビでは、仙台から移動しようと100人ぐらいの人がバスを並んで待っているという。
岩沼からはまずは、各地にアクセスできる仙台に移動しなければならない。
普段はJR一本で20分ちょっとだが、JRが動いていない。
一部地下鉄が動いているという情報あり。

空港は、宮城よりも南下すると福島に近づくのでできれば避けたい。
となると、山形、庄内、秋田、青森空港辺りがいい。
仙台から各空港までのアクセスが問題だ。
おそらくバスで乗り継ぐしかないだろう。
さらに状況次第では、タクシーで山形入りすることも想定内だ。
仙台でタクシーに乗せてもらえればの話だが・・・


友人から随時メールが送られてくる。
どうやら飛行機の便も満席、
もしくはどんどん空席が埋まっていく状況のようだ。
いったん家を出ると、その日どこまで行けるかもわからず、
どういう経由で九州へ戻るかわからない。
仙台でバスをまた何時間も並んで待つことになるかもしれない。


さらに、各地の携帯の電波状況もわからない。
私たちの居場所を伝える手段を考えていたら、災害伝言ダイヤルに気付いた。
とりあえず、家を出て九州へ向かう予定であることと、
連絡が全く取れなくなったら、災害伝言ダイヤルに居場所を入れておくので、
それで私たちの行動を確認するように実家や、親戚、一部の友人に連絡を入れる。


友人から届くメールでの情報を確認しながらも、
同時に必要な荷物を準備しなければ。
どこへ行くか、九州まで何日かかるかわからないので、
身動きが取れる大きなリュック一つに入れられるものだけを厳選する。


空港で空席待ちの寝泊りをすることも考えて、寝袋は二人分必要だ。
九州へ戻る飛行機で空席を優先して考えると、北海道の新千歳経由の可能性もある。
となると、寒いので防寒対策が優先だ。寝袋があるので、洋服は沢山は入らない。
最低限の厚手の靴下やフリース類、防寒着も兼ねてレインウェア上下。
靴は雪が降っていてもいいように登山靴にしよう。
アウターはポケットが多く、防水撥水効果もあるスノボ用の上着を着ていこう。


いよいよ飛行機がないと、韓国の仁川経由で福岡入りもありだ。
パスポートを持っていこう。
現金、クレジットカード、航空会社のマイレージカードもチケットの予約に必要だ。
後は、下着を数枚。化粧品なんて持っていけない。衣食優先だ。


食糧の予測がつかないので、買い置きしたチョコレートや飴を密閉袋に詰め替え、
リュックの隙間のあちこちに詰める。念のため、ラジオ、ヘッドライトも入れておこう。
水はペットボトル500Lを2本が重さの限界だろう。
移動中、空港の場所、公共交通機関を知るのに、おおまかな地図が必要だ。
分厚い地図帳は持っていけないので、
東北地図の一番後ろのページの全体地図のページだけを
本体からびりびりと破り取って、上着のポケットに入れる。


夫が、通達を受けて休みが確定したと言い帰ってきた。
さらに同じアパートの知り合いの方が、車が無事だったので、
地下鉄が動いている長町(通常、車で20~30分ほど)まで
送ってくれることになったので、1時間後に駐車場に集合だと言う。

ガソリンもまだめどが立たず、ご自身も今後ガソリンが必要になるかもしれないのに、
信じられないご厚意だった。私は自転車で駅まで行くことを予想していたが、
気づくと外は雨が降っていた。確かに大型リュックを背負い、雨の中自転車で行くのは厳しい。

(今思えば、原発爆発直後の雨だったので、濡れることが避けられて良かったと思う)

せめて家にあったすぐ食べれるような食糧をその方に分けてお渡しして、
ガソリン代にお金を渡そうとしたが、お金はいらないと受け取ってもらえず、
食料だけでもありがたいと、かえって恐縮されて、
なんと言っていいかわからないぐらい感謝の気持ちばかりだった。


家を出たらいつ食事が取れるかわからないので、特大おにぎりを準備しておいた。
出かける直前、二人でそそくさとおにぎりをと食べた。
夫の話では、私たち以外、どこかへ避難しようという人達はあまりいなかったらしい。

「私たちが急いで九州へ帰ったことが、後で笑い話になるといいね」と二人で話した。


電気はまた停電などがあるといけないので、家中のコンセントをすべて抜いて
ブレーカーを落とす。大きなリュックを背負い、登山靴を履いて、
地震以来お風呂に入っていないので、
化粧なしのすっぴん&ぼさぼさの髪に帽子を目深にかぶる。


友人からは、原発に危機感を覚えた人達がどんどん移動していると
「早く移動して!」という切迫したメールが届く。
原発がこれ以上危険な状態にならないよう、
無事に九州へ帰れるよう祈る気持ちで、小雨の中、車に乗り込み家を後にした。


(2011年3月11日東日本大震災 「3・15 福岡へ帰ろう その1」・・・・終)

2 Comments

RaRa。 says...">Kanaeさん"
こんにちは。いつもKanaeさんのブログ拝見してます。
息子さん達のほのぼのした様子にいつも癒されてます。
コメントするのがなんだか気後れして・・・・いつも読んでるだけですみません。

号外の新聞!言われて思いだしました!
私もそういえば目を通したんでした。
けれど、テレビで実際の映像を見た時の方が印象深かったので、
すっかり忘れてました・・・・失敗。

Kanaeさんのブログを拝見して、地震以後、
時間的には同じ場所にいた時は短かったのですが、
地震の時に同じ時間を過ごしたというだけで、
共感する部分がたくさんあって、気持ちが楽になったように思います。

心配することはつきませんが、何かできることから始めなくちゃですね!
↑ずいぶん元気になってるでしょう(笑)
まさにお買物効果です!

2011.08.05 17:49 | URL | #- [edit]
Kanae says...""
あの時、本当に感謝を覚えることがたくさんありましたよね。人って、こんな時なのに本当に親切で、本当に暖かい。また、日本人でよかった、日本に住んでて良かった、と心から思いました。

津波の被害状況、私は12日に4階のお宅に届いた号外で、写真つきで知りました。きっとRaRa。さんは新聞を見る暇もないほど私達の分まで外回りしてくださっていたので、知らなかったのですね。危険な時に長時間、外に並んでくださり、本当にありがとうございましたm(__)m

アパートを出ようと思う人が少なかったのは、みんな車を失い、足がなかったのが一番だと思います。我が家は子連れだとまたあの状況ではまだ移動は難しいことが多く、うちから出ないことが一番だと思っていました。もちろん、できることならば実家へ、とは思っていましたが、妻子のために、とダンナは捨て身で水を買いに行ったりはしていました・・・

ただ、ダンナは日頃からヘビースモーカーなので、リスクの高さはそっちの方が高いかな?と思えば大したことはない気分です(^^;)

私は4月に関東にいて、やはり美容院行くことだけでも罪悪感を感じ・・・でも、そうゆうリフレッシュって大切だとは思いました。
夏セール、楽しめたみたいで良かったですね!
違う罪悪感・・・笑っちゃいましたv-218
2011.08.04 23:24 | URL | #- [edit]

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