日々、積笑

笑って過ごせる毎日

3・16 福岡到着

Posted by yokka on   0  0

毎日出だしが原発関連が続いていますが・・・・
故郷九州の玄海原発再稼働を心配していたら、
気づくと今度は、北海道の泊原発に矛先が向かっていました

とりあえず、海江田大臣が北海道の意見を聞く・・・というところのようですが、
「地元軽視だ」と主張していた高橋はるみ知事が
正しい判断をして、原発稼働に反対してくれることを願います。

私も、今回は少しだけ行動してみました。
首相官邸のホームページに行くとご意見募集という項目があって、
そこに泊原発稼働反対意見を送ってみました。

いつもぶつぶつ文句言ってても、直接行動したことなかったので、
正直、送信ボタンを押すが怖かった。えいっって感じで。
読まれないかもしれないし、何の意味もない行動かもしれないけど、
自分的には、気持ちをを発信できたことが記念すべき第1歩。

そして、北海道庁や知事宛てには、そういうメッセージを送るのがなかったので、
直接関係ないけど、札幌市は市長宛てのメールが送れるので、
それにも泊原発に札幌市としてもっと反対してほしい旨のメールを送りました。

またまたドキドキ。
声をあげるって正直怖い。

これって悪い方に想像し始めると・・・・

誰が原発反対しているのか調べられて、
家族とか本人とかに無関係の逮捕状とか出て、
怖い人が家に来て拉致られて、
これ以上反対するな!とか脅迫されて、
家族の仕事場とかに警察が来て、
家族が仕事を辞めざるを得なくなって、
ネットとかでも実名とか好評されて、
どえらい目にあう。

・・・・ってのが「24(アメリカドラマ)」での展開なんですよね。
(ま、「24」なら、目ざわりな人はすぐに殺されますが。)

ドラマ知恵ですぐこうゆう妄想に走りますが 笑

でも、今回ばかりは、こういう考えを持った市民がいることを
知ってもらえる可能性があるなら、やってみようと思えたので、ポチっと。
だって、北海道好きだしね。それが一番の原動力。

大げさなことができるほど大きな人間ではないし、
勇気も度胸もありんこ並みなので、今の私にできる精一杯のこと。
そして、一人の意見なんてほんと宇宙から見た米粒のようなものだけど、
やらないよりやった方がまし・・・ぐらいの感じで。


今日は、3月16日秋田空港を出てからのできごとです。

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 ( 3月16日 秋田空港を羽田へ向けて出発 )

無事に秋田を出発した。
途中、事故が起こった福島原発近くの上空を通るのだろうか。
そればかりが、気になった。

原発上空は飛行制限が出ているので真上を通ることはないだろうが、
それでも、羽田に向かうからには、全くちがう方向ということはないだろう。

飛行機に乗っていた間のことは、あまり記憶になく、
携帯に事細かくメモしていたのも、秋田空港を最後にほとんど記録してない。
とにかく、原発がこれ以上爆発しませんように、
と必死に祈っていたのは覚えている。

羽田には福岡便への乗り継ぎ時間ぎりぎりに到着したので、
連絡通路をこれまたダッシュで搭乗口に向かったが、
羽田からの便が機材整備遅れていて、しばらく待ち時間があっての搭乗。

12時30分。福岡行きが出発し、やっとこれで福岡に帰れる・・・・と思った。
羽田から2時間かからずに、福岡空港到着。見慣れた景色。帰ってきた。
福岡空港に着くと、すぐに親や友人たちに連絡。

弟と母親が車で迎えに来てくれていた。
スノボウェアに登山靴、大型ザックを背負った私をみて、
違う意味で驚いた感じだったが、こっちはそんなの気にしていられない。

それからは、親戚や友人たちから温かい言葉を沢山もらい、
3月末に引越しの予定が立ち岩沼に戻るまで、福岡でゆっくり静養することになった。

しかし福岡に戻っても着いてすぐは、ほとんど眠れなかった。
興奮と緊張が続いていた。

そんな福岡滞在2日目の夜のこと。
地震から全く連絡を取っていなかった友人から電話がかかってきた。
私たち夫婦の安否を心配しての電話だった。

どの友達のルートとも違う友人だったので、私の状況を全く聞いておらず、
私は地震以後のことを彼女に話し始めた。
夫とも知り合いなので、夫の職場が津波にあい、車が流された・・・と話した。

彼女の旦那さんとも知り合いなので、電話している彼女の後ろで
明らかに酒を飲んでいい感じになっていたその旦那さんも電話に代わると言っている。
旦那さんが電話に出ると

「RaRaちゃん、なになに~、旦那が津波に流されたんだって・・・大笑」

私の頭の中がどっかーん。
まだ緊張状態で、張りつめていた気持ちがブチ切れて、まずは無言で携帯を切る。

夫は隣の部屋で寝ていた。
けれど、気持ちがおさまらない。時間は深夜。

気持ちのやり場がない。折り返し電話をかけなおす。
友達が私の電話だとわかり、電話をとるなり泣きながら謝っている。

「旦那に代わって」とだけ言い、旦那が電話にでると、
「地震のテレビは見てるのか」と問う。
「見ている」と答える。
「どれだけの人が犠牲になっているのかわかっているのか」と問う。
「わかっている」と答える。
「どうせテレビの前で、酒を飲みながら津波の状況を見て笑っているのだろう」と言う。

それからは、私が一方的に相手の無神経さを罵る。
大声を上げ、泣きわめき、罵声を浴びせる。
感情と涙が止まらない。相手は一方的に謝っているが、そんなのでは気が済まない。

「どうせあんたは、その程度の人間だってことよね」

と言って、一方的に電話を切る。
電話を切っても、感情がコントロールできない。大声で泣く。
夫がびっくりして、私の様子を見に来る。だまって私の傍で落ち着くのを待っている。

夫が心配するので、とりあえず、なんとか泣きやもうと冷静さを装う。
もう大丈夫だからと、私は夫とは違う部屋で寝る。
夫が隣の部屋のベッドに入った様子を確認してから、また布団をかぶり声を殺して泣く。

明け方まで泣いて泣いて泣いて。ほとんど眠れなかった。
途中から、自分の意志とは関係なく勝手に涙が流れた。

友人の旦那さんの言葉に腹が立ったのもあったのだが、一番は

「もしかしたら、夫が津波に流されて死んでいたかもしれない」という現実に気付いたからだ。

今まで地震や、原発のことで毎日目の前のことで精一杯で、
そんな想像をしたことがなかった。きっと生きていると信じて疑わなかったし、
事実生きて私の元に戻ってきた。けれど、戻らない可能性があったことを初めて気づかされた。

泣き疲れて少し眠ったのか、
それでも時計を見ると1時間も寝てなかったのだが、
早起きの私が起きてこないことを、親戚が心配して私の様子を見に来た。

目覚めるとまた涙が勝手にでてくる。突然泣きだす私をみて、親戚がびっくりして事情を聞く。
とりあえず、夫も朝ごはんを食べてるから、起きておいでと言われ、
なんとか起きて行くが、夫の顔をみるとまた涙が止まらない。

「○○くん(夫)はちゃんと生きてるから、心配しないで」と親戚が言う。

泣きながら、少しだけご飯を食べるが

「勝手に涙がでて、止まらないんだよ~」と繰り返す私。

「今日は、ゆっくり寝てたらいいよ。」
「涙が出たってことは、安心したってことでもあるから、
 泣きたいだけ、どんどん泣いていいからね。」と夫が言ってくれて、気が楽になった。

思う存分その日は泣き通しで、翌日以降、泣きやんでからも、
テレビで震災の情報を見ると涙が止まらず・・・という、
感情がコントロールできないことがしばらく続いた。

それからは、しばらく携帯の電源を切り、誰とも連絡を取らなかった。
本人は悪気はなくとも、また誰かに傷つけられるのが怖かったからだ。

それでも、しばらくしたら落ち着いて友人とも話せるようになった。
今思えば、タイミングが悪かったとしかいいようがない。
張りつめた気持ち、不安な気持ち、そのど真ん中であんなことが起こってしまったのだ。
今なら、聞き流すことができただろうに・・・と思う。

友人夫婦が不仲になってしまわないかと心配になり、
後日メールして、あの時は私の精神状態がいつもと違ったから、
過剰に反応してしまったと謝った。

その後も気持ちの不安定さは少なからずあった。地震や原発によるストレスのせいだろう。
怒り、悲しみ、不安、恐怖、絶望感、無力感。
色々な気持ちが、時には大きくなり、時には小さくなりを少し前まで繰り返していた。
抜け出せないのだろうか・・・・と思った時もあったが、
今は、こうして冷静にブログに綴ることができるようになった。

夫は生きているし、
私も生きている。

地震後色々な励ましのメールをもらった。

「生きているんだから、亡くなった人の分まで自分の命を大切にしないと」

このメールをもらった時期はまだネガティブな時期で、
素直に「そうだね」と返事できなかった。

生きているのは私で、亡くなった命と私の命は別のもので、
代わりに補えるものではない・・・とその時本当は言いたかった。

今は、少し前向きに「私にできることはなんだろうか」と思える。

まだまだ日本中で大きな地震が起きる可能性が言われている。
今回の地震を体験して、日本にいる限りどこに住んでいようとも
地震は来るものだと思って生活するしかないと感じている。

建物や、地盤のことになると個人ではあらかじめ準備できることは限られるが、
家の中や、普段の防災意識は最低限、自分の身を守ってくれる可能性があると
思っている。

一個人の地震から数日間の出来事を綴ったものなので、
あまり役に立つような内容はないのだが、
自分だったら・・・と置き換えて考えれるようなことが、
もし、あれば幸いだ。

そして改めて、心配し、助けてくれた方々へ感謝の気持ち。

最後に、今回の地震で命を落とされた方のご冥福を祈り、
住み慣れた宮城をはじめ、被災地が復興できるように願ってやみません。




(2011年3月11日東日本大震災 「3・16 福岡到着」・・・終わり)

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