日々、積笑

笑って過ごせる毎日

ハハ タオレル

Posted by yokka on   0  0

3月末のこと。
朝方4時に母が救急車で運ばれたと
電話があり、朝一番の飛行機で、
新千歳から福岡へ向かった。

脳梗塞だったが、幸い処置が早く、
病院に運ばれた時には、言語障害と右手に麻痺があったのが、入院して数日後には、
どこにも麻痺が残らない状態に回復し、
2週間で無事に退院した。

母は通いで、同じ市内に一人暮らしをする
90歳の祖母を見ていた。
その母が倒れたため、私は祖母の家にいて、
午後に母の病院へ通う以外は祖母と過ごした。

祖母は手伝えば、歩けるし、料理もできるし、話もできるから、90歳にしては立派なもんだ。
ただ、耳が聞こえないのと、少し痴呆があるので、
母が倒れた状況はわかっているが、
時々、意味のわからないことを言ったり、
さっき伝えたことを何度も聞いたりする。

脳梗塞は再発のリスクが高いということで、
退院したものの、安静が必要な母は
祖母の面倒を今後見れなくなった。

祖母は祖父を52歳で亡くし、
一人で働いて子供達を巣立たせ、
そして今の家で一人暮らしをしながら、
先祖を弔い、孫、ひ孫までを見守って来た。

色々な事情もあり、祖母とも話し合いをした結果、
祖母が信頼しているかかりつけ医から紹介を受けた施設に入ることになった。
祖母も、ここなら。と納得してくれた。

なんとか祖母の希望通りにと、
一人暮らしを支えてきたが、
それも叶わない状況がついに来てしまった。

ただ、一つだけ願いが叶ったこともある。

私が子供の頃は、盆正月になると親戚一同が祖母の家に集まり、
それはそれは賑やかだった。

しかし、長い年月色々なことがあり、
親戚一同が集まる機会はなくなっていた。

それが今回、色々な偶然が重なり、
全員ではないが、親戚一同で
以前のように食事をすることができた。

祖母は母が倒れたことが気がかりで、
純粋に楽しめてはいなかったが、
祖母を囲んでみんなが笑っている様子は、
私が望んでいたことの一つだった。

みんなの笑顔の記憶。

私自身、親戚達とこれほど一緒に時間を過ごし、
話をしたのは小学生以来だろう。

けれど、私が札幌に帰る頃には
不思議と家族のように親しく思えたし、
離れていて普段関わりもほとんどないが、
いざと言う時には、支え合うことができるんだと、改めて気付いた。

母の体調、祖母の環境の変化と、
これからまだまだ油断できない状況だけれど、
私も札幌に戻りひとまず疲れを癒している。

帰って来て数日経ったが、
いまだに一日中眠くて、
何もしてなければ、知らず知らず寝ている。

ほんの10日ほどの病院通いと、
祖母との生活だったが、
たったそれだけでも母の介護の大変さを感じた。

病に倒れるということ、
老いるということ、
自分に何ができるのかという限界。

色々なことを話し、考え、悩んだが、
結論として、今の自分の人生を楽しみ、
そして、色々なことに柔軟に対応するしかないのだろうと、
今は思う次第である。

疲れがなかなかとれない、
もうすぐ42歳の心境である。

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